This Category : 旅・遠足

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2014
03/01
*Sat*

安倍文殊院さん

category : 旅・遠足 | 日記 | 日記
某女子が陰陽師にはまっているようなので。
京都の晴明神社もいいけれど、奈良の安倍文殊院さんもおもしろかったぞーと(笑
遣唐使の安倍仲麻呂さんやその子孫で平安の陰陽師 安倍晴明さんの出生寺、
陰陽道の源流寺院で、文殊さまの智恵授与と魔除け・災難除けの御祈祷のお寺。
・・って、11月の旅を思い出してアップ。

安倍文殊院東山門

この日は歩きの都合上、うしろから。
東山門、光る五芒星。

安倍文殊院西古墳

で、境内に古墳◎◎
(さすが桜井!)
大化の改新の時の左大臣でこのお寺を創建した安倍倉梯麻呂の墓といわれているそう。
中に仏様がおられます。
入って合掌。

安倍文殊院本堂

そして、こちらが本堂。
拝観時、智恵のお抹茶と五芒星印のついた吉野くず入り手作り落雁をいただけます。
(残念、写真撮る前に食べちゃったあんこ入りです)
御本尊は「三人寄れば文殊の智恵」の文殊さま。
右手に持つのは、降りかかる魔を断ち切る剣。
ゆっくりご挨拶が済んだなら、

安倍文殊院金閣浮御堂

金閣浮御堂(またの名は仲麻呂堂)へ。
ここがまた不思議なお参りで。
拝観前に小さな7枚のお札をいただき、お堂を7周回る。
その間、1周ごとにお堂の正面で「病気をしない」とか「怪我をしない」とか、災難に
遭わないよう祈り、その都度1枚ずつお札をおさめ箱に入れる。
七難を取り除く「七参り」、なのだそう。
七参りが済んだら、やっとお堂の中へ。
仲麻呂さん晴明さん(像)がおられます。
そして、陰陽道に関する宝物も。

まだまだ、ここで帰ってはもったいない。
金閣浮御堂を出て本堂と反対方向に行くと、

安倍文殊院白山堂

菊理姫を祀る白山堂!
まさかここでご挨拶できるとは・・。
自宅で白山神社のお札もお祀りしているクセに、白山が修験陰陽道の大霊地とは
気がつきませんでした
菊理姫がイザナギ・イザナミ神の間をとりもったことから、「縁結び大神」との表示が
なされてます。
その隣りの階段の先には、

安倍文殊院晴明堂

晴明堂。
見晴らしのいいこの場所で、晴明さんは天文観測を行い吉凶を占ったそう。

安倍文殊院展望台より

晴明堂の前、「天文観測の地」の碑の横からの眺めがこちら。
よく見えませんが、金閣浮御堂の右奥に本堂。

安倍文殊院山門

入口の山門です。
お守りも魔除け系だったり、五芒星のシールがあったり。
サイトもおもしろいです。
年賀状にジグソーパズル、日替わり今日のことわざ、九曜星占い、今日の運勢。
トップページの右下にメニューがあります ⇒ 安倍文殊院さんサイト
本日3/2のことわざは「挨拶は時の氏神」
晴明さん好きの方はぜひ、奈良桜井市のこちらもお忘れなく!です。

余談ですが、、
実はこちら、忍阪(2013/11/6日記)のあと送っていただいた聖林寺さんから
歩いての到着で。
ほんとうはその間も、メスリ山古墳に聖徳太子の上宮の可能性もあるという上之宮
遺跡、民家の間をすり抜けた先にある艸(くさ)墓古墳と、こじんまりだけれど
見どころいっぱい。
安倍文殊院さんを出てからも、安倍寺跡があったり吉備真備が作ったと伝えられる
七ツ井戸という場があったり。
さすがさすがの桜井市です。

なぁんとなく道の流れで足を運んだ安倍文殊院さんでしたけど(ほんとすみませんっ)、
いやいや、とってもツボでした。
また行きたい。

安倍文殊院仲麻呂歌碑

(しかしここ数日、安倍晴明さんの名前をよく見聞きするなぁ。
同僚さんが貸してくれた文庫本も遣唐使もの、仲麻呂さんの名も出てくるし・・)
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2014
02/21
*Fri*

雪の大津京

category : 旅・遠足 | 日記 | 日記
すっかりご無沙汰してしまいました
早いものですね、もう2月も21日。
最近はすっかり、ツイッターの住人となっております。
今日のTLは真央ちゃんでいっぱい。。すごかったね(;;)

まだまだ近所も職場付近も雪が溶けずに残っていますけど、大丈夫でしたか?
先々週末、その雪の東京を離れてまたまた奈良に行って参りました。
金曜の夜、新宿発京都行の夜行バスに乗ったのですが、もし一週間違っていたら
高速道路で救助を待つ身になっていたかもしれません。
ほんと、人ごとじゃない。
被害にあわれたみなさんの一刻も早い日常の回復を心からお祈りいたします。

まぁ、奈良奈良奈良とくどいようですが(苦笑
最後の正倉院工事現場見学と、今回は滋賀県少々。
遺跡に古墳に神社にお寺、、しかし寒かった><

天智天皇陵Ⅱ

こちら、まるでどこかのお屋敷の入口のようですけど・・

天智天皇陵Ⅰ

朝一番で足を運んだ京都山科にある天智天皇陵。
日本史の教科書の始めの方に出てくる大化の改新、それを中心となって進めた中大兄皇子です。
その昔7世紀の頃、白村江の戦いに大敗。
その後の国力充実・文化の振興、天智天皇の采配を昭和天皇は模範になさったという。
古代の天皇陵はいくつか目にしてきましたが、こちらの大事にされっぷりに驚きました。
なるほどなぁ。。

そこから大津は思いのほか近く。
京阪線で近江神宮前下車。
天智天皇を祀る近江神宮までの間に点在する大津宮跡(近江大津宮錦織遺跡)が、、

大津宮跡Ⅰ 大津宮跡Ⅱ 大津宮跡Ⅲ

雪・雪・雪。
案内板はすでに雪の下。
読めませぬ
が、、

鎌足 人麻呂 額田王

いらっしゃいました!
鎌足さんに人麻呂さんに額田王~。
嬉しいw
白村江の戦ののち都は飛鳥から近江へ。
みなさん、ここへいらしたのだ。
今立つこの地へ。

近江神宮二の鳥居

そして近江神宮ニの鳥居到着。
こんなに雪を踏みしめて歩いたの初めてです。

近江神宮楼門

鮮やかな楼門。
手水舎横から楼門まで伸びる階段を、男性が雪かきして下さってました。

近江神宮外拝殿

雪化粧の近江神宮外拝殿。
非情なイメージの天智天皇には思うところ複雑ですけれど、、足を運んで初めてわかった、
その存在の敬われ具合。
別格だ。

近江神宮漏刻 近江神宮日時計

天智天皇が日本で初めて水時計(漏刻)を作ったということで、境内には漏刻と日時計、
時計館も。
その時計館・宝物館の2階には万葉歌のパネルが展示されています。
(ここで勝手に再び、また会えた感!)
近江神宮はかるたの聖地なんですって。

そして、
雪なので再び京阪線。
ふたつ隣りの別所駅で降りて、

弘文天皇陵

天智天皇の子、大友皇子(弘文天皇)の陵へ。
天智天皇の弟、のちの天武天皇が起こした壬申の乱で敗北した大友皇子はこの付近で
自害したのだそう。
妻は天武天皇の娘。
没時おおよそ24歳くらい。
出自の低さを疎われ皇位争いのとばっちり、気の毒な若者だ。
どうしても、理不尽や不本意に反応してしまう。

ようこそ大津京へ

ようこそ大津京へ。
ここで時間切れ、回り切れなかった諸々はまたの機会ということで。
思ったよりずっと心躍った大津でした。
また行きます。

この旅の前に、安田登さん著『ワキから見る能世界』を読んだのですが。
お墓参り的な自分の旅の意味がわかりました。
能の物語だ。
「ワキ(生者)は旅をすることによって、異界と出会う。」

帰り際に知った「京都地下鉄・京阪大津線1dayチケット」が、適用4/30まで(発売は
3/31まで)で、1000円で乗り降り自由。
同様のチケットがあるかどうか、事前に確認した方がいいですね。

PCがイマイチ調子よくないので、ぼちぼちと更新します。
そうそう、
先月、咽喉のひどい乾燥で2週間声が出なくなりました。
寒くても水分、忘れずたっぷり摂って下さいね!

2013
11/25
*Mon*

馬射戲(まさひ)競技を見てきました

category : 旅・遠足 | 日記 | 日記
出世橋

こちら、日高市高麗(こま)川の出世橋。
渡ると出世するそうですよ。
・・もう何回渡ったかな(苦笑

今日は高麗郷文化フェスティバル、高麗神社の近くで行われた馬射戲(まさひ)
という流鏑馬に似た競技を見てきました。

馬射戲Ⅰ

競技参加の射手のみなさん。
7名のうち6名が韓国からお越しです。
紅一点は高校2年生の女の子!

馬射戲Ⅱ

逆光で暗いけど、なんとか撮れました。
200メートルの馬場に的が5つ、大変です。
60→40→20cmと、回ごとにだんだん小さくなっていく的。

サムルノリ

これだけ見てると、どこに居るのかわからなくなりませんか。
高麗川の牧場です(笑

この競技、408年頃の高句麗の壁画に描かれているそう。
↓いただいた資料をiphone撮り。

高句麗壁画Ⅰ  

この壁画「馬射戲図」を元に競技の再現を試みたのだそうです。
高句麗は騎馬民族、建国の祖の朱蒙(チュモン)は弓の名手ですもんね。
(今年は第2回目。)

高麗神社

そして久々に高麗神社。
境内でのセミナーや催事のほか、今日は七五三の家族連れもたくさん。
(ゆかりのみなさんなのかなぁ。。)
以前足を運んだ時に参集殿の壁に古墳壁画の図があった気がしたのですが、
今日は見当たらず、、、残念。

再来年、高麗郡建郡1300年なのだそうです。
天智天皇の頃、高句麗から渡来の人々が移り住み。
高麗神社の御祭神、高麗王若光(こまのこきしじゃっこう)は高句麗の王族で
初代の首長(郡司)。
今の宮司さんはその子孫にあたります。

聖天院山門

せっかくなので、高麗王若光が眠る聖天院さん。

高麗王若光王廟

高麗王若光の王廟前。
この両脇の羊はどういう意味なのかな。
調べよう。

聖天院Ⅱ

高台にある本堂の前から見た景色。
本堂横を左奥に入ると在日で無縁仏となったみなさんの慰霊塔があるのですけど、
この地は若光の頃に最高の風水の地と定められたのだそう。
慰霊塔の近くには広開土王や檀君などの偉人像があり、地の記憶と繋がりの
強さをいつも感じさせられます。
(地・血・知・乳・父・・・)

そして、その頃の日本を思ふ。
淡海帝、天智天皇の世。
昭和天皇が目指した、天智天皇。
(次は大津かな・・)
民族問わずの先人の苦労。

来週から気忙しくなりますから。
この週末は年末に向けてお掃除・片付け開始の予定だったのですが、、、
行っちゃった
(一応体験学習のつもり)
日々こつこつ、しかないですね

高麗神社道標

2013
11/18
*Mon*

京都御所、秋の一般公開初参観(後編)

category : 旅・遠足 | 日記 | 日記
はてさて、つづきです。
奥にすすんで

小御所Ⅱ  小御所Ⅰ

雅楽姿の人形が並ぶ小御所(こごしょ)の横には

蹴鞠の庭

蹴鞠(けまり)の庭。
小御所は諸種の儀式が行われたり、武家との対面がなされたところ。

御池庭  

その向かいは御池庭(おいけにわ)。

御内庭Ⅱ  御内庭Ⅰ

先に進むと御内庭(ごないてい)、

御常御殿  御涼所

16世紀以降天皇の日常のお住まいとして使われた御常御殿(おつねごてん)と
(すみません、部屋しか写真がない)、その名の通りの御涼所(おすずみしょ)。

御三間Ⅰ  御三間Ⅱ

そろそろおしまい、道順最後の建物、御三間(おみま)。
七夕やお盆等、宮中御内儀の行事が行われた場所だそう。

御所門柱

向かい側の柱の木組みに目に留まります。

遠くて近い。
一回りして、そんな感じ。
各所の呼び名も美しいこと。

ちょうど一週間前、 「国際派日本人養成講座」のメルマガに城壁で囲まれた
長安、城壁のない平城京の話が出ていました。
「長安の都の外周は、高さ10m以上もある城壁で囲まれていた。皇帝の住まう
宮城には、さらに高い城壁がめぐらされていた。平城京には城壁はなく、天皇の
住まう宮殿も、すぐに乗り越えられる垣根が巡らされているだけだった。
(中略)この坊の一つひとつが長安では城壁で囲まれ、夜間には鍵で閉ざされた。
外敵の侵入を防ぐとともに、坊の中にいる人々をとじこめ、管理した。平城京では、
外敵も住民の逃亡も想定していなかった。」(「JOG-Mag №823 歴史教科書読み
比べ(12) :奈良時代、公地公民か階級社会か
」より)
と。
世界一古い王室の住まいは、城ではなくて宮なのだ。

京都御所

門を出てしまう前に、振り返り。
清らかで落ち着いた美しい御所でした。
海を渡って来るみなさんに、ぜひ見せてあげたい。
防壁も塔もなく表に繋がる、京のかつての帝の住まい。
感無量、です。

珍しく、思わず買っちゃいました。
素敵でしょ!

御所グッズ

ながらくのおつきあいありがとうございましたm(_ _)m
なにぶん体感優先、走り撮り。
お見苦しい点、御容赦下さい

※京都御所の写真と公開順路はこちらからどうぞ⇒「宮内庁 京都御所一般公開

2013
11/18
*Mon*

京都御所、秋の一般公開初参観(前編)

category : 旅・遠足 | 日記 | 日記
今夜の月もみごとですね。

昨日、よみうりホールで行われた「古代歴史文化賞決定記念シンポジウム
日本の始まり 出雲 大和 日向 伊勢」に行ってきたのですけど。
古代国家はいつ成立したかというテーマでのパネルディスカッション、参加の
先生方の意見がみなさんそれぞれで面白かったです。
「いや、私はこう考えます」
って、またまた広がる興味関心。

さて、

御所煎餅

こちら、先日京都御苑で購入した御所煎餅。
秋の一般公開、行ってきましたよ初めて!
昨夜日記を一度アップしたのですが、長すぎるのか容量オーバーか、うまく
表示がされず
なので、ただ今前後編分けました。
初参観振り返り、長いですけどよかったらご一緒に^^

宜秋門

入口はこちら、この宜秋門(ぎしゅうもん)を入ると

御車寄Ⅰ  御車寄Ⅱ

まず初めに御車寄(おくるまよせ)、昇殿を許されたものが参内する時の玄関。

諸大夫の間Ⅱ  諸大夫の間Ⅰ

で、その参内した者の控えの間「諸大夫(しょだいぶ)の間」、
(写真が下手クソすぎて申し訳ない・・)
襖の絵がそれぞれ違っていて格の高い順に虎・鶴・桜の間、なのだそう。

新御車寄Ⅰ  新御車寄Ⅱ

こちらの新御車寄は、大正以降の天皇皇后両陛下の玄関。
ここまででも「お~!!」って感嘆でしたけど、いやいやまだまだ。
これからが本番でした。

回廊Ⅰ  回廊Ⅱ

新御車寄の向こうにはぐるっと朱色の回廊が。
覗く、覗く。

回廊Ⅲ  日華門

日華門を入ると、

紫宸殿Ⅰ  

紫宸殿(ししんでん)!
即位礼など重要な儀式を行う正殿です。

紫宸殿Ⅱ

正面両脇には「右近の橘」と「左近の桜」。

紫宸殿Ⅱ  

ズームしてみたけど、見えるかな天皇の御座「高御座(たかみくら)」!?

南庭、承明門

正面は南庭、承明門。
ぴーんと背筋が伸びるほどの、清涼感。

紫宸殿Ⅲ  紫宸殿Ⅳ 

横から、横から。

清涼殿Ⅰ  清涼殿Ⅱ

そして、その紫宸殿の横を回ると清涼殿(せいりょうでん)。
平安時代には天皇が日常生活の場として使用した御殿だそう。
実際、京都御所の現在の建物はほとんどが江戸末期(1855)に再建された
ものなのだそうです。

清涼殿Ⅲ 

清涼殿の周りには、ぐるっと小さな水の流れが。

御所垣根

さぁ、先に行きましょう。

2013
11/11
*Mon*

先日の京旅話、異界少々

category : 旅・遠足 | 日記 | 日記
今朝がたこちらを覗いて下さったみなさま、、
大変失礼致しました
下書きを保存時、誤まってアップしちゃった。
今度は大丈夫(苦笑

神泉苑

こちら、竜神を呼ぶ神泉苑。
地底をたどって八坂神社の竜穴に通じているそう。
弘法大師はここで天竺の竜王を勧請して大雨を降らせたのだとか。
弘法大師、水の伝説多いですね。

月末月初の3日間あまりに歩きに歩いたもので、、昨日一昨日は籠って
おとなしくしておりました。
気が抜けてバテバテ、やっと体にチカラが戻ってきた感じ。
(・・寄る年波には勝てませぬ

先日の京都もおもしろくって。

一条戻橋

前回通り過ぎちゃった一条戻橋も、渡ってきました!
安倍晴明が毎晩星を占い、式神を下に隠していたという場所。
死んだ人がよみがえり鬼が出た橋、だと。
そして、「ゆくはかえるの橋」
この橋を渡って旅に出ると無事戻る、とかなんとか。
(あ、また京都に戻れるってことだ~)

昨日は籠りながら、途中になってた澤田瞳子さん著『満つる月の如し 仏師・
定朝
』をゆるゆると読んでいたのですが。
平安末期の仏師と、その仏師を支えたひとりの僧侶の物語。

満つる月の如し

その定朝さんが造仏した国宝の阿弥陀如来坐像、安置されてる平等院
素通りしちゃいましたよ、、、
すぐ横まで行っていたのに><
「この世に生きる者たちはみな、日々の暮らしに目を曇らせ、心を尖らせている。
しかしそんな者たちの中にも間違いなく、御仏は隠れている。その事実を、
見る者すべてに伝えねばなるまい。」(澤田瞳子著『満つる月の如し 仏師・定朝』
より)
次回必ず!

で、
そちらに心なびきながらも後にして向かったのが、だーれもいない「幸神社
(さいのかみのやしろ)」。

幸神社

そういえば、、
猿の神像があるとのことでしたけど、しまった、すっかり忘れてました><
あまりのヒト気のなさに、そそくさと退散したのです。
一応こちら縁結び、行く手を遮る悪霊を追い払ってくれる道祖神だそうですが、、
あーぁ・・
また見逃しちゃった。
欲張るとダメですね。

今回の京都、お目当ては京都御所だったのです。
秋の一般公開。
感無量のひとときは、またの機会にご報告。
ずいぶん慣れましたょ、京都のバス(笑

それにしても、
この日の最後に参った清水寺。
お堂に入ってもみなさん、仏様には目もくれず背を向けそのまま舞台の方へ。
びっくりです。
それでも、
お堂の下の学問・健康・縁結にご利益があるという音羽の滝には、あやかりたい
人たちの長い列。

音羽の瀧

これが今の世、です。
京都の仏様のお役目も大変だ・・

アテルイ・モレの碑

清水寺に行ったなら、
北の地を守るため戦った蝦夷の英雄アテルイ・モレの碑にもぜひ、目を留めて
欲しいなぁ、、と思ふ(合掌

あ、清水寺と言えば、
転ぶと3年以内に死ぬという三年坂は通ってませんから(笑
今回も、旅の予習と復習はこの2冊。

京都・異界をたずねて  京の風水めぐり

2013
11/06
*Wed*

忍阪歴史探訪

category : 旅・遠足 | 日記 | 日記
“忍阪(坂)”と書いて“おっさか”って読むのですって。
木金土(10/31~11/2)と、正倉院展に行きがてら京都と奈良をウロチョロ
してきたのですけど。
土曜日におじゃました桜井市、忍阪のみなさんがとても気持ち良かったので
ご紹介。
お世話になった村の区長さん曰く「ウチは飛鳥より古い」



動画に出てくる舒明天皇は天智・天武天皇のお父さん。
日本で最も古い八角墳だそう。
鏡王女のお墓はもう少し近くに行くと

鏡王女墓

こんな感じ。
そして、

大伴皇女墓

そのまた奥には聖徳太子の叔母さんにあたる大伴皇女のお墓が。
同じ道なりに間をおいて続いているのですが、その道の入り口には

神籠石

神武天皇が東征の際、この地に住まう八十建(やそたける)を討つ時に楯とした
という「神籠石(じんごいし)」
面白~い!

そもそも、額田王終焉の地ともいわれる粟原寺(おおばらでら)跡に行きたかった
のですよ。
朝、桜井の駅で周辺の地図をいただいて。
そしたら、そこまでの途中に額田王のお姉さん鏡王女のお墓がある!
で、寄らなくっちゃと。

粟原寺跡Ⅱ  粟原寺跡Ⅰ

こちらがその粟原寺跡。
額田王ではないかと言われる比売朝臣額田が草壁皇子を弔うために建立した
というお寺。
華やかな都から離れた晩年、この里山で心穏やかな暮らしができたのだろうか、、
額田さん(遠目

粟原寺跡は桜井の駅から大宇陀行きのバスで忍阪のふたつ先、粟原で下車。
そこから結構な坂道を登ります。
地図には「下車20分」と表示、、まぁそのくらい。

粟原

その粟原寺跡から里山風景を眺めながら道なりに、歩いて歩いておおよそ2.7km。
(バスがそうそうありませんから
桜井の駅でチラリと名を聞いた石位寺を覗いてみたら、小さなお堂は作業服姿の
男性が何だか修繕!?中のようで。
まいっか、と通り過ぎたら通りすがり、翌週のお祭りの準備にお寺に向かう忍阪の
村のみなさんに声をかけていただいた。
お蔭で、額田王の念持仏とも言われる白鳳の石仏を拝観できました。
普段無人の石位寺、拝観は要予約なのだそうです。
もしくは、タイミングが良ければ!
(※JRで配布の「大和の古道紀行」の地図を持っていると拝観料が¥300→
¥250です)

そしてそこで村の区長さんに教えていただいたのが、そこの窓からちょうど見える
赤坂天皇山古墳、こちらがほんとうの祟峻天皇のお墓だというお話。
あの蘇我馬子に殺されちゃった祟峻天皇の。
明治の頃の地図にはそのように記載されていて、今現在の祟峻天皇の陵は
宮内庁がのちに定めたものなのだと。

赤坂天皇山古墳

狭い間口、ひとりで来たら絶対中に入ろうと思わなかったこの古墳。
区長さんのご厚意で案内していただき、軍手と懐中電灯まで貸していただいて、
ちゃっかり中に入ってまいりました。
懐中電灯ひとつでまだ足りないほどの暗闇の中、石棺の周りをひとりぐるり。
墳墓を作った人たちを思い故人を葬った人たちを思い、潤っと感動。
教えていただけてほんとうによかった。

祟峻天皇陵

このあと宮内庁が定めた祟峻天皇の陵を参拝し、

聖林寺

美しい十一面観音さんで知られる最寄りの聖林寺さん(今気づいた、藤原鎌足の
息子定慧の創建!!)まで送っていただいて、、、
感謝してもしきれませんm(_ _)m
(もしあのまま歩いていたなら、その後明るいうちに安倍文殊院さんまでたどり
着けなかったかも

その日の朝まで忍阪って知らなかったのにね(苦笑
今度の週末、10日の日曜日はお祭りだそうです。
「忍阪街道まつり」
詳しくはこちら⇒「忍阪の風

なにより、当の現地で歴史の話を存分に聴けおしゃべりできたのが楽しかった~。
石位寺のお堂の隣り、休憩所!?で地域の案内や古代天皇の系図を前に
コーヒーをいただきながら、お当番のみなさんとのおしゃべりも!

身近にはあまりいませんが、、
万葉・古事記、古代好きのみなさん!!
忍阪、面白いです。
最寄りにお立ち寄りの際は、ぜひ。

羊

忍阪の区長さん、みなさん、ありがとうございました!!

2013
09/19
*Thu*

気多大社にも行ってきました

category : 旅・遠足 | 日記 | 日記
さて、一昨日のつづき。

地図に「白山比咩(しらやまひめ)神社創祀之地」なんてあったら行って
みたくなるじゃないですか、遊歩道の途中。
近くに縄文遺跡もあるという。
これは行かねば!って、行ってみたら、、、
遊歩道どころか、小さいけれどひと山越えるまるで獣道
一度入りかけて止めようと戻ったのですが、やっぱりどうにも気になる。
せっかくだもの。
で、入りましたよ。
登りはまだ足元なんとか道っぽかったのですけど(気づいたら写真なし)、
下りはもう、

舟岡山遊歩道Ⅰ

道が植物で塞がりかけてる~><
雨露で足元びしょ濡れになりながら草の実いっぱいくっつけながら、大慌てで
山道を下りました。
(これじゃ遊歩道じゃないよぉ・・

白山ひめ神社創祀之地

一応、山頂(舟岡山)の「白山比咩神社創祀之地」
崇神天皇7年(前91)の時ですって。

舟岡山遊歩道Ⅱ

そして、途中の思わぬご褒美!
それから下って着いたところが、白山青年の家の裏手で。
窓から見える、中で女性がおふたり何やら作業中。
さぞかし怪しく映ったでしょうね、突然山から出てきて足元の草の実を叩いて
落としてる(苦笑

舟岡山縄文遺跡

その青年の家の前に小さな縄文遺跡がありました。
復元住居ふたつ。
とにもかくにも、目的達成(疲

このあと金剱宮(金運アップで知れてるそう、知らなかった◎◎)、不動滝、
鶴来別院(お寺)と回ってひとやすみした無料の休憩所で、お茶をご馳走に
なりながら教えていただきました。
この辺り、もう少ししたら熊が出るって

横町うらら館

休憩所「横町うらら館」、入ると奥が広いです。
ここでもう相当くたびれてましたから。
このあと金沢を通り越して、ちょっと遠いけど気多(けた)大社に思い切って
行くことに。
移動中、体休めるし。

手取川

先ほど見えた手取川の川原まで歩いて、今回鶴来はお仕舞い。
白山比咩神社、舟岡山のあと遷られたのがこの川の河畔だそう。

気多大社鳥居

そして来ました、能登の一の宮氣多(けた)大社
あちこちに「氣」の文字がチラチラと。

気多大社神門Ⅰ

神門をくぐると、巫女さんが参拝順序を案内して下さる。

気多大社幸せむすびどころ

言われたままに向かった門の左手。
どうやら「幸せむすびどころ」?というらしい。
不思議なことに気多大社の公式サイトには境内の案内が出ていないので、
多分、そうだと思います。
ご祭神は大己貴命、縁結びですょね。

気多大社本殿

次に本殿。
(順番を言われるとなんか落ち着かないね。)
お隣りには摂社白山神社、菊理媛おられました。

気多大社神門Ⅱ

振り返れば巫女さん、立ってます。
順番通り参道に戻ったら、手水舎の後ろ、向こうに見えた鐘に目が行って。
足を運んだら折口信夫の句碑の案内!
それは行きますわな。

折口信夫の句碑案内

と、またまたまたこんな道。
仕方ないですね、こういう今世の定め(溜息
奥へ奥へ。
どうやら、気多大社の後ろにある入らずの森のそのまた後ろ辺り。

きのこ

途中でキノコに遭遇。

折口信夫の句碑

ありました!
バスを降りた時「折口信夫父子の墓」の案内があって、なんでかなって
思ったのですが。
折口信夫が養子に迎えた門弟の出身地だったんですね。

駅からのバスが少ないって聞いてましたが、往復共に今回は見事な
タイミングで(感謝
それからお墓もお参りして、人形が演じた「死者の書」に非常に感銘を受けた旨
お伝えしてきました。
また観たいなぁ、映画「死者の書」。

死者の書  死者の書(DVD)

気多大社があるこの羽咋(はくい)という地、UFOの町だそうですよ。
3つ隣りの宝達駅にあるモーゼパークも行きたかったけど時間切れ。
モーゼのお墓があるとかなんとかw
またの機会に。

UFOのまち羽咋

これで今回まる一日。
いつ行こうかなぁと思ったら、ちょうどバスが1席だけ空いてたのでした。
行きも帰りの便も。
台風直前に戻れてよかった・・

それにしても、↑のUFOの絵の下の説明。
気多大社の古縁起や鹿島町史の伝説にUFOを連想させる記述って、
気になりますょね。

あぁ、やっとアップできてよかった~。
昨夜は固まるは落ちるはあと少しがどうにもこうにも、PC絶不調。
そろそろ寿命を感じつつももう少し、持ち堪えてほしいところです、
ウチのパソさん・・

2013
09/17
*Tue*

白山比咩神社に行ってきました

category : 旅・遠足 | 日記 | 日記
日曜日、今年も金沢経由で白山比咩(しらやまひめ)神社に行ってきたのですけど。
昨朝関東に戻ってバテバテウダウダしていたら、世間が大変なことになってました
みなさん大丈夫でしたか?
あんなにテレビで豊橋が連呼されたの、初めて聞いたかも。
京都をはじめ、被害にあわれた方々が一日も早く元の生活に戻れますように。
無事息災(祈
あぁ、心痛。

幸い、前日金沢方面も雨模様でしたけれど白山比咩神社がある鶴来(つるぎ)の
町は雨が上がっておりまして。
前回は駅からバスで直行、そこからまたバスで白山が見える白峰まで行って
温泉入ってひと休み、、、だったところ、今回は駅から歩いて鶴来の町をウロウロと。
散策してきました。

菊姫酒造

道中の菊姫酒造さん、カッコイイでしょ。
何年か前まではすぐ近くの一の宮の駅まで電車が通ってたのですが、今はその
ひとつ前の鶴来が終点。

白山ひめ神社鳥居

鳥居をくぐって、

白山ひめ神社表参道

表参道から。

白山ひめ神社琵琶滝

途中左側にある琵琶滝は、夜ライトアップされるそうです。

白山ひめ神社御神木

ご神木を右手に見て、

白山ひめ神社拝殿<br />

拝殿!

白山奥宮遙拝所

境内右側には白山奥宮遙拝所、

白山ひめ神社禊社・禊場

南参道奥には禊社・禊場。
今回初めて宝物館にも入ってみました。
伊勢の御神宝が4点だったかな、、こちらで目にすることができたって、もう静かに
感激。

白光苑

で、裏手にある白光苑。
御存知じの方は御存知、白山比咩神社の御祭神はイザナギ・イザナミ神の間を
取り持ったという菊理媛(くくりひめ)ですから。
新しいお札もいただいて、今年も括り直し完了!です。
括り直し気分の分かち合い、できたかなぁ。

そしてこのあと、、、
毎度のことながらまたもや、懲りてるはずなのに獣道を歩くハメご縁になるのです(汗
が、
この続きはまた明日。

2013
08/31
*Sat*

長篠・設楽原の古戦場跡で

category : 旅・遠足 | 日記 | 日記
8月も終わりですね。

先日帰省時に、初めて火縄銃に触りました。
戦国時代の古戦場跡、新城市の設楽原歴史資料館にて「手にとってご覧
ください」

火縄銃Ⅰ

持ち上げてみると、重いこと。
これを担いであれこれかさばる戦の装備を身に着けてこの山間を歩み戦った
とは...(ギョッ
なんて苦しい不自由合戦。
勝っても負けても、下っ端の苦労必死は同じ。

設楽原

この資料館の東側には、信長・秀吉・家康の各本陣があったそう。
愛知では三英傑、屋上から見えるその辺り。
こんな山間に集ったのです、遠方あちこちから。
・・それだけでも十分、疲弊困憊のモト

火縄銃Ⅱ

資料館には火縄銃がいっぱい。

火縄銃Ⅲ  御座敷銃砲

左利き用の銃や、高級武士の子弟が砲術を学ぶための「御座敷銃砲」、

信玄砲

日本最古の火縄銃のひとつで伝説の火縄銃「信玄砲」、、等々。

撃たれたら痛かろう、苦しかろう。
撃つ方も、それは簡単なことじゃない。
そして時代はずいぶん違うけれど、こんなに重い銃を持って幕末の八重さんも
戦ったのだなぁ、、と。
火縄銃をより良くと、学び改善に励んだ人たちが居たことも。

設楽原歴史資料館

戦国時代はチンプンカンプンなもので。
何も知らずに案内看板を見て立ち寄ったのですが、思わぬところで思わぬご縁。
手にした銃の重みは、その昔も変わらない。
同じ現実。
で、

長篠城址史跡保存館

少し離れた先、戦の舞台の長篠城址では。
ちょうど長篠城址史跡保存館でテレビ番組の収録をしてました。

胴火(火縄筒)

こちら火縄が消えないよう保持する道具「胴火(火縄筒)」ですって。
腰にさす、そう。

火縄

火縄銃の火縄も。

朱塗篠籠手

こんなの腕につけて、、
動きひとつも大変だ。

長篠城址Ⅰ

日本百名城のひとつ、って知りませんでした。
子供のころ学校の遠足で来たり、地元に居た頃ドライブ途中で寄ったことも
ありましたけど。

内堀Ⅱ  長篠城址Ⅱ

内堀の間を抜けて、

長篠城址Ⅲ

入ってすぐ右側が本丸跡。
写真は奥から向きを変えて撮ったので、左側の白い案内が立っている辺り。
(ここでお弁当食べたなぁ・・)

あまりの炎天に界隈の史跡巡りは諦めたのですが。
動いた時に動いた分だけ、感ずるものがありますから。
今だから、の。
時に点が繋がる。

こちら、三河一宮の砥鹿(とが)神社です。

砥鹿神社

しかし、
今日も暑すぎ!
どこかに行きたい病も萎えるほど。
所用だけ済ませて家でおとなしくしていましたけど、結局何もはかどらず><
長篠話も今頃やっと

ダルマ自転車
明治のダルマ自転車(設楽原歴史資料館)

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人生が輝き出す名言集 第2章



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